- 表札屋の名字事典

表札屋が名字を調べました

表札書家が名字の歴史や由来などを調べてみました。

名字の歴史を紐解きますと名字は古代から続いていて現在に連なります。

江戸末期の名字は約三万と推定されています。

明治時代になって苗字必称令により、国民が皆、苗字を名乗ることが義務付けられました。

それまで公に苗字を名乗れなかった農工商にあたる民は代々伝わる苗字がわかるものはそれを名乗り、
わからないものは新たに創り、現在では名字の数は三十万ともいわれます。

名字の数え方でその数は変わります。

読みではにごる、にごらないで別にかぞえるのか。例としてはヤマサキ、ヤマザキ

漢字では斉藤、齊藤、斎藤、齋藤をそれぞれ別にかぞえるのか。

名字ランキングの調査作成方法にはその元となるデータに特徴があります。

それぞれの特徴を踏まえてランキングを見ていきましょう。


表札文字で書く名字ランキング

筆文字表札の文字で、日本の名字をランキング形式で楷書、行書、草書、隷書体で
書いていきます。どうぞご覧くださいませ。

名字のランキングはどの調査でも大きくは違わないようです。

ただ、一番古い佐久間ランキングだけが1位が鈴木さんで、他の調査では佐藤さんとなっています。

これは佐久間ランキングの調査では関東地方に偏りがあるためといわれています。

それぞれの名字ランキング調査方法を調べてみました。

名字のランキングは現在216位まで作成済みです。


名字?苗字?姓?氏?

みょうじは、名字とも、苗字とも書かれます。また姓、氏とも言うこともあります。

どれも山田太郎の前半の山田をしめしています。

法務省では氏、文部省は名字を正式名称として用いています。

どれが正しいというのではなくまずこれらの言葉を理解することから始めましょう。


古代の名字 氏(うじ)と姓(かばね)の歴史

古代の名字である氏とは主に血縁関係にある多くの家族の集団で、その長である氏上は氏神を祭り外に向けて氏を代表した。

この氏はたくさんあって、地名からおこったものとしては葛城、蘇我、春日、明日香、平群、巨勢などがあります。

また職業からもあり、服部、弓削、膳、土師、物部、中臣などがそれです。

姓(かばね)はこれらの氏族に付けられた称号で、臣、連、公、村主、国造、県主などです。

姓が朝廷から授けられるようになると近代の爵位のようなもとして臣、連など階級を表すようになりました。

これらは平安時代まで引き継がれましたが、藤原氏が朝廷での権力を一手に納めてからは姓(かばね)は廃れました。


中世の名字

新撰姓氏録が書かれた平安時代初期には、何千とあった氏は紀、伴、菅原、大江など二十ほどの氏が
目に付く程度になりました。

この氏(うじ)にかわって普及してきたのが字(あざな)です。

字(あざな)とは実名を呼ばれるとその身に禍(わざわい)がかかるから、という禁忌からでたもので
「日本書紀」には仁賢天皇のあざなが嶋郎とあり、万葉集には巨勢朝臣豊人のあざなが正月麻呂とあります。

この字(あざな)には他の氏との区別のために地名が用いられるようになっていきます。

平安中期には地名に基づく字(あざな)がほとんど普遍的に用いられるようになりました。

この地名を含む字(あざな)は土地(名田)の支配を主張する証として、氏(うじ)のように名乗ったのが名字です。


近世の名字

次いで近世になるともっぱら苗字の文字が使われるようになりました。苗字の苗の字は血筋という意味です。

名字は土地と関連していましたが、苗字は血統をあらわすものです。

すると、中世なら名字が正しかったはずですが、今は苗字のほうが適切だということになります。

ですが、そこまで厳密に区別する必要はないでしょう。


徳川家康のフルネームは
源    朝臣   徳川  次郎三郎   家康
氏     姓   苗字  字(あざな)   名 
となります。


庶民の名字の歴史

豊臣秀吉が実施した刀狩り、そして武士が町人、農民に転じることや、農民が商業や賃仕事にでるのを禁止した
身分法令により身分制度が確立しました。いわば庶民の誕生です。

江戸時代には士農工商の身分制は固定し、武士、農民、町人はそれぞれの身分に従って職業を世襲し、
他の職に転じることが禁止されました。

苗字帯刀も武士以外には禁止されました。

ただし、神主、医者、学者、町年寄り、庄屋、名主などや、以前からの由緒ある有力者は許されていました。

また、徳川幕府や諸藩は農民の孝行、貧民の救済、納税、献金などの褒美として新たに苗字の使用を許すこと
がありました。

では献金などできなかった庶民には名字はなかったのでしょうか?

古い神社、仏閣などの寄進帳、奉賀帳などからかなりのものが名字を持っていたことがわかってきました。

江戸後期には名字は非公式にかなり流通していたようです。


明治以降の名字の歴史

明治時代になり、新政府は西欧流の新しい国家を造る必要に迫られました。天皇中心の国家造りです。

すなわち、近代国家たる中央集権を実現するために人民を治める権力と資金を手に入れるためです。

明治3年 平民の苗字の使用が許可されました。八月には華族、士族と平民との結婚を許可しました。

明治4年 戸籍方が発布されました。壬申(じんしん)戸籍です。
制定の目的は税の徴収、階級性の打破、国民皆兵の基礎をたてることでした。

明治5年 登録済みの氏名の改氏改名を禁止しました。
       通称名・実名の併用を禁止し、単名の採用を命じました。西郷吉之助隆盛は使えなくなりました。
       同姓、同名は願い出て改めることができる。
       僧侶も苗字をつけてよいとされました。

明治6年 歴代の御諱などを平民が名字に使用することを許可しました。明治天皇の御諱は睦仁でしたので
       仁平、睦田といった苗字も庶民がつけられるようになりました。

明治8年 平民も必ず苗字を称し、不詳のものは新たに付けるようにとの太政官布告が出ました。

これで国民皆姓となりましたが、このときまでの苗字はどうだったのかをみてみましょう。

明治はじめの人口はおよそ三千万人と推定され、そのうち苗字を名乗れたのは三百五十万人ほど、
苗字の数は約三万だったといわれています。

それが明治8年の義務化で、現在ある十数万とも二十七万ともいわれる苗字のほとんどがこのときに誕生した
ことになります。

このときの騒動が面白、可笑しく大げさに伝えられてます。

ある村では野菜名に統一したとか、またある村では全員が魚名にしたといいます。

しかし、それはごく一部だったものが大げさに広まっただけでしょう。

ほとんどはかなり正常におこなわれたのは間違いないことでしょう。


   

表札文字の特徴

筆文字表札の文字は家を訪れる誰にでも読みやすいものでありたいものです。

筆文字表札の書体は楷書、行書、草書、隷書がありますが、どなたでも読めるように
くずし過ぎないように書きます。(書道の草書は読めないことが多いです)

デザイン表札を除き、表札の中央にはまるようにきちっと納めることが重要です。

筆文字表札は字が命です。気をこめて勢いのある伸びやかな文字であるよう心がけています。


Last updated: 2010.10.14